有難う・・・
記憶の中に留めておかず、記録として残したいとの思いでHPの作成、ブログの公開をしている
私です。
さよならの言葉も言わず突然に逝ってしまったIさんは、そんな私のHPとブログをチェックする
愛好者の一人で、書いた本人が忘れているようなことを「あそこに書いてあった」と克明に記憶
していて驚いたことがあります。
Iさんとの思い出はたくさんありますが、少しくらいはブログに書けとIさんに言われている気が
するので、ちょこっとだけ書きます。
今まで公開したことの無い画像が多いので、きっとIさんも喜ぶと思います。
私がディンギーというヨットに出会ったのが今から30年前の1984年
「ヨットは只今漂流中」ヨット遍歴参照
ヨットという趣味を持っていなかったら、絶対に出会っていなかったであろう人達が沢山います。
今では、会社関係の知人・友人よりもヨット関係の知人・友人のほうが比べものにならないくらに
多いのが事実です。
Iさんもヨットを通じて出会った大切な友人の一人です。
Iさんは1989年に北海道江差で開催された第44回国体ヨット競技「成年2部シーホッパー
級」の北海道代表選手でしたが、競技役員だった私とはまだ親しい仲ではありませんでした。
大会で配布された「帆走指示書」、競技役員のみに配られた「競技役員必携」

本部艇から隠れて撮影したレース風景

私がIさんと親しくなったのは、同じくヨットを通じて知り合った大親友のKちゃんに誘われて
Iさんの家に泊りがけで遊びに行ったことがきっかけでした。
その後、私が1年だけ札幌勤務していた時には、何度もIさん家に行ったり、Iさんが私の家
に来たりしていました。
19日にIさん家にお線香をあげに行った時に、Kちゃんも懐かしい話として記憶していた
「北海シマエビがサインに化けた話」
あの話に書かれている1994年8月の「阿寒湖まりもCUPヨットレース」の時の写真を
探し出しました。

この写真のシャッターを押したのがIさんです。
残念ながらIさんが写っている写真は探し出せませんでした。ごめんね。
20年前・・・懐かしいな~
20年前はシーホッパー全盛時代で、北海道では「シーホッパーシリーズ戦」で年間順位を
決定していた時でもありました。
これは確か岩内でのレースの時の宴会写真です。


何だかんだと時は過ぎ、シーホッパーは一時の勢いも無くなり、レース参加選手も限られて
きて、一時Iさんはヨットから釣りに楽しみを変えましたね。
それからまたまた時は過ぎ、3年くらい前からIさんはヨットに復帰しました。
忘れもしない、昨年の6月9日銭函吉田浜
今年は20数年ぶりにシーマーチンでオープンレースに出たいという私のワガママに付き合って
Iさんは帆走比べをしてくれました。


その時にIさんに言われた「ある風域ではマーチンのほうが速い」という一言が今でも耳に
残っています。
銭函吉田浜でIさんと2人で一緒にヨットに乗ったのは、後にも先にもこれだけです。
2012年のシングルハンダーシリーズ戦は、見事に総合優勝しましたね。

その勢いで2013年は果敢に国体予選にチャレンジしましたね。

初日は他の艇よりもかなり早く出艇したのに、何故かハーバーから外に出た時には後ろに
数艇だけ。
レースのほうも2日間共に信じられないくらいに不調で、見ている私も心配しましたよ。

今年は国体のことなんで考えず、祝津で沢山乗ると言って艇を外置きにしたのに、初乗りの
日にたった一度乗っただけで逝ってしまうなんて・・・

貴方の愛艇は、奥様と息子さんの希望は「誰か使ってくれる人に差し上げます」とのことなので
来年から国体シングルハンドがレーザーに統一されることから、地元小樽の海技学校ヨット部
に寄贈して使ってもらおうという方向で話を進めています。
貴方の愛艇が来年の和歌山国体本番に出れるように見守っていてください。
私の使っているSILVAの103を見る度に「俺が死んだら、自分が使っている103をあげ
る」とIさんは言っていたね。

Iさんは家でも、ピアノの上に飾っている103コンパスを見て「muraさんにあげよう
かな?」と奥様に言っていたんだね。
焼香に行った日に「これ持って行って」と奥様に言われたけれど、まだ貰うことは出来ないよ。
「俺が死んだら、自分が使っている103をあげる」なんて冗談話が現実になってしまって
悲しくて仕方ないよ。
今年からセーリング風景を動画撮影するから色々とチェックしようと約束して4月27日に
試験的に撮影した動画の中から、Iさんの映っている部分を抜き出した物を作成しました。
こんなことになるのなら、もっと撮影しておくんだったと悔しい気持ちでいっぱいです。
悲しいかな、生前のIさん最後の帆走風景です。
今は亡きIさんに捧げます。
私の「石垣島旅行記」を見て、Iさんは今年3月に奥様と石垣島旅行に行ったんだよね。
石垣島での話、まだ少ししか聞いていませんよ。
「クバ笠」のこととか、シーサーの話とか今度ゆっくり話そうと言っていたのに・・・
いつか一緒に石垣島に行こうという話もしたかったのに・・・
少し落ち着いたら、Iさん家に石垣島旅行の土産話を聞きに行こうと思っているけれど、
いいよね。
20数年間、ワガママな私に付き合ってくれて、本当に有難う・・・
どうか安らかにお眠りください。
私です。
さよならの言葉も言わず突然に逝ってしまったIさんは、そんな私のHPとブログをチェックする
愛好者の一人で、書いた本人が忘れているようなことを「あそこに書いてあった」と克明に記憶
していて驚いたことがあります。
Iさんとの思い出はたくさんありますが、少しくらいはブログに書けとIさんに言われている気が
するので、ちょこっとだけ書きます。
今まで公開したことの無い画像が多いので、きっとIさんも喜ぶと思います。
私がディンギーというヨットに出会ったのが今から30年前の1984年
「ヨットは只今漂流中」ヨット遍歴参照
ヨットという趣味を持っていなかったら、絶対に出会っていなかったであろう人達が沢山います。
今では、会社関係の知人・友人よりもヨット関係の知人・友人のほうが比べものにならないくらに
多いのが事実です。
Iさんもヨットを通じて出会った大切な友人の一人です。
Iさんは1989年に北海道江差で開催された第44回国体ヨット競技「成年2部シーホッパー
級」の北海道代表選手でしたが、競技役員だった私とはまだ親しい仲ではありませんでした。
大会で配布された「帆走指示書」、競技役員のみに配られた「競技役員必携」

本部艇から隠れて撮影したレース風景

私がIさんと親しくなったのは、同じくヨットを通じて知り合った大親友のKちゃんに誘われて
Iさんの家に泊りがけで遊びに行ったことがきっかけでした。
その後、私が1年だけ札幌勤務していた時には、何度もIさん家に行ったり、Iさんが私の家
に来たりしていました。
19日にIさん家にお線香をあげに行った時に、Kちゃんも懐かしい話として記憶していた
「北海シマエビがサインに化けた話」
あの話に書かれている1994年8月の「阿寒湖まりもCUPヨットレース」の時の写真を
探し出しました。

この写真のシャッターを押したのがIさんです。
残念ながらIさんが写っている写真は探し出せませんでした。ごめんね。
20年前・・・懐かしいな~
20年前はシーホッパー全盛時代で、北海道では「シーホッパーシリーズ戦」で年間順位を
決定していた時でもありました。
これは確か岩内でのレースの時の宴会写真です。


何だかんだと時は過ぎ、シーホッパーは一時の勢いも無くなり、レース参加選手も限られて
きて、一時Iさんはヨットから釣りに楽しみを変えましたね。
それからまたまた時は過ぎ、3年くらい前からIさんはヨットに復帰しました。
忘れもしない、昨年の6月9日銭函吉田浜
今年は20数年ぶりにシーマーチンでオープンレースに出たいという私のワガママに付き合って
Iさんは帆走比べをしてくれました。


その時にIさんに言われた「ある風域ではマーチンのほうが速い」という一言が今でも耳に
残っています。
銭函吉田浜でIさんと2人で一緒にヨットに乗ったのは、後にも先にもこれだけです。
2012年のシングルハンダーシリーズ戦は、見事に総合優勝しましたね。

その勢いで2013年は果敢に国体予選にチャレンジしましたね。

初日は他の艇よりもかなり早く出艇したのに、何故かハーバーから外に出た時には後ろに
数艇だけ。
レースのほうも2日間共に信じられないくらいに不調で、見ている私も心配しましたよ。

今年は国体のことなんで考えず、祝津で沢山乗ると言って艇を外置きにしたのに、初乗りの
日にたった一度乗っただけで逝ってしまうなんて・・・

貴方の愛艇は、奥様と息子さんの希望は「誰か使ってくれる人に差し上げます」とのことなので
来年から国体シングルハンドがレーザーに統一されることから、地元小樽の海技学校ヨット部
に寄贈して使ってもらおうという方向で話を進めています。
貴方の愛艇が来年の和歌山国体本番に出れるように見守っていてください。
私の使っているSILVAの103を見る度に「俺が死んだら、自分が使っている103をあげ
る」とIさんは言っていたね。

Iさんは家でも、ピアノの上に飾っている103コンパスを見て「muraさんにあげよう
かな?」と奥様に言っていたんだね。
焼香に行った日に「これ持って行って」と奥様に言われたけれど、まだ貰うことは出来ないよ。
「俺が死んだら、自分が使っている103をあげる」なんて冗談話が現実になってしまって
悲しくて仕方ないよ。
今年からセーリング風景を動画撮影するから色々とチェックしようと約束して4月27日に
試験的に撮影した動画の中から、Iさんの映っている部分を抜き出した物を作成しました。
こんなことになるのなら、もっと撮影しておくんだったと悔しい気持ちでいっぱいです。
悲しいかな、生前のIさん最後の帆走風景です。
今は亡きIさんに捧げます。
私の「石垣島旅行記」を見て、Iさんは今年3月に奥様と石垣島旅行に行ったんだよね。
石垣島での話、まだ少ししか聞いていませんよ。
「クバ笠」のこととか、シーサーの話とか今度ゆっくり話そうと言っていたのに・・・
いつか一緒に石垣島に行こうという話もしたかったのに・・・
少し落ち着いたら、Iさん家に石垣島旅行の土産話を聞きに行こうと思っているけれど、
いいよね。
20数年間、ワガママな私に付き合ってくれて、本当に有難う・・・
どうか安らかにお眠りください。
Posted on 2014/05/21 Wed. 10:15
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CM: 3
« 見守ってね | ストレスだと思う・・・ »
この記事に対するコメント
また、家にきて下さいね。
主人も待ってます。
Mika .I
主人も待ってます。
Mika .I
URL | 匿名 #-
2014/05/22 14:43 * 編集 *
Re: タイトルなし
> また、家にきて下さいね。> 主人も待ってます。
>
> Mika .I
少しは落ち着きましたか?
一昨年、お宅に伺った時に沖縄旅行の話を聞いて南の島に憧れ
昨年、石垣島旅行をした私。
私の石垣島旅行記を見て、今年3月に石垣島に行かれたと聞き
4月末の艇庫開きの時に「石垣島はどうだった?」と少しだけ
話を聞いたきりで、今度ゆっくり話そうと言っていたのに・・
ヨットの話ではなくて、南の島の旅行の話で盛り上がれる一時が
私は好きでした。
たぶんご主人も石垣島の話しをするのを楽しみにしていたと思い
ます。
少し落ち着いた頃に、石垣島の話を聞きに伺いますのでよろしく
お願いしますね。
URL | laser177441 #-
2014/05/23 19:16 * 編集 *
ありがとうございましたm(_ _)m
江差の遠征で出会い、そして共に北海道国体で闘ったことは私の心の宝として、忘れないです‼日本一美しい海で、激闘を称えあい表彰式の合間にお話したことが、昨日のように感じます…。
北海道国体が私の原点でしたから、印象があまりにも深くて…。
優しく接して頂き、心よりありがとうございました。
…と天を仰ぎました。
また、あの海でレースしましょう‼
Iさんの 一ファンより
URL | 黒田 官兵衛 #-
2014/07/02 10:35 * 編集 *
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