ロゴシール貼り付け
先週からIさん逝去に伴う話を掲載していましたが、何時までも悲しんでいたらIさんに叱られ
そうなので、少し明るい話を掲載します。
ニューセイルにK藤さんの会社のロゴシールを貼りますという話は4月18日のブログに記載して
いますが、本日到着しましたので早速貼りました。
ちなみにK藤さんは「パティオシステムズ」という会社を経営されています。

K藤さんからは、予め「粘着剤のついた方の紙を剥がさねばなりませんが、そのまま剥がすと
粘着剤の方が強く背の方からはがれてしまいます」との説明メールを頂戴していたのですが
実際に粘着剤のついた方の紙を剥がすと、このように粘着剤のついた紙は意味が無しです。

これは、このステッカーの作成ミスでは無くて、ステッカー完成後にある程度の時間が経過
すると、粘着剤のついた方の紙の粘着力よりもステッカー本体の粘着力が強いためにこの
ような状態になることがあるのです。
しかし、私はまったく気にしません。
過去に、何度もステッカーを自作してセイルに貼っている経験があります。
この写真のレーザーマークとセイルNO以外は全て自作のステッカーです。

その経験を生かして、まずは「トレーシングペーパー」に元となるステッカーの不要な部分を
カットして両面テープで貼ります。

あとは、これをセイルのステッカーを貼る位置に一部を仮留めして貼っていくだけ。
しかし、このステッカー、会社のロゴなので「右上がりで・・・」というK藤社長の思いがあり
ます。
スターボード側で、セイルNoの下に貼るのが一般的ではありますが、それでは右下がりに
なってしまいます。
そこで、ステッカーを貼る位置を試行錯誤した結果、スターボード側のフットの位置に貼る
ことにしました。
この位置に仮止めして・・・

頭の部分から5文字程度の裏紙を剥がしながら貼っていきます。

Patioの部分の貼り付け完了!!
まだトレーシングペーパーが付いたままなので、写真を見る限りでは少し判りずらい。

はい、これでPatio Systemsのロゴの貼り付け完了

会社のマークが入った最終形がこれになるわけですが、ロゴと会社のマークの2枚構成の
ステッカーなので、この最終形を参考に会社のマークの貼り付けをします。

はい、これでステッカーの貼り付け完了!!
気持ち、会社のマークが上過ぎたかな??
若干右上がりに貼れたか??とも思いますが・・・

今年のマスターズは愛媛県新居浜で開催ということで、レース海面は瀬戸内海なので
軽風じゃないのか??との思惑があり、私は57kg台まで減量済みです。
K藤さんの会社のロゴを貼ったニューセイルで、少しでもK藤さんの帆走テクニックを真似て
帆走できれば・・・
頼るものは神でも仏でも・・・
マスターズレースには興味の無かったIさんの写真を持参して、私のところにだけ良い風を
吹かせてくれるようにお願いしたい・・・
まだ3ヶ月以上もマスターズまでには時間がありますが、私の今年のマスターズ作戦はすでに
開始されています。
そうなので、少し明るい話を掲載します。
ニューセイルにK藤さんの会社のロゴシールを貼りますという話は4月18日のブログに記載して
いますが、本日到着しましたので早速貼りました。
ちなみにK藤さんは「パティオシステムズ」という会社を経営されています。

K藤さんからは、予め「粘着剤のついた方の紙を剥がさねばなりませんが、そのまま剥がすと
粘着剤の方が強く背の方からはがれてしまいます」との説明メールを頂戴していたのですが
実際に粘着剤のついた方の紙を剥がすと、このように粘着剤のついた紙は意味が無しです。

これは、このステッカーの作成ミスでは無くて、ステッカー完成後にある程度の時間が経過
すると、粘着剤のついた方の紙の粘着力よりもステッカー本体の粘着力が強いためにこの
ような状態になることがあるのです。
しかし、私はまったく気にしません。
過去に、何度もステッカーを自作してセイルに貼っている経験があります。
この写真のレーザーマークとセイルNO以外は全て自作のステッカーです。

その経験を生かして、まずは「トレーシングペーパー」に元となるステッカーの不要な部分を
カットして両面テープで貼ります。

あとは、これをセイルのステッカーを貼る位置に一部を仮留めして貼っていくだけ。
しかし、このステッカー、会社のロゴなので「右上がりで・・・」というK藤社長の思いがあり
ます。
スターボード側で、セイルNoの下に貼るのが一般的ではありますが、それでは右下がりに
なってしまいます。
そこで、ステッカーを貼る位置を試行錯誤した結果、スターボード側のフットの位置に貼る
ことにしました。
この位置に仮止めして・・・

頭の部分から5文字程度の裏紙を剥がしながら貼っていきます。

Patioの部分の貼り付け完了!!
まだトレーシングペーパーが付いたままなので、写真を見る限りでは少し判りずらい。

はい、これでPatio Systemsのロゴの貼り付け完了

会社のマークが入った最終形がこれになるわけですが、ロゴと会社のマークの2枚構成の
ステッカーなので、この最終形を参考に会社のマークの貼り付けをします。

はい、これでステッカーの貼り付け完了!!
気持ち、会社のマークが上過ぎたかな??
若干右上がりに貼れたか??とも思いますが・・・

今年のマスターズは愛媛県新居浜で開催ということで、レース海面は瀬戸内海なので
軽風じゃないのか??との思惑があり、私は57kg台まで減量済みです。
K藤さんの会社のロゴを貼ったニューセイルで、少しでもK藤さんの帆走テクニックを真似て
帆走できれば・・・
頼るものは神でも仏でも・・・
マスターズレースには興味の無かったIさんの写真を持参して、私のところにだけ良い風を
吹かせてくれるようにお願いしたい・・・
まだ3ヶ月以上もマスターズまでには時間がありますが、私の今年のマスターズ作戦はすでに
開始されています。
Posted on 2014/05/27 Tue. 23:57
TB: --
CM: 0
見守ってね
「こんばんは。連休中に祝津で乗りましたか?私はずっと体調不良で家にいました。
11日は行くつもりですがmuraさんは行く予定ですか?」
Iさんから5月6日に携帯に届いたこんなメッセージを見たのが5月19日の夜。
11日にIさんに会った時に「6日に携帯に電話したけれど出ないのでメッセージを残した
のに返事が無いよ・・・」と言われ「そんなメッセージ、届いていないよ」と答えた私。
1月にガラケーからスマホに替えたけれど、アプリが沢山あり過ぎてほとんど使いこなせ
ていなくて、Iさんの仏前にお線香をあげた19日に必死にスマホの中を探して発見しま
した。
メッセージをもらった時に確認していれば「体調が悪いのなら病院に行ったほうがいいよ」
と11日に言えたのに・・・
そんな私の忠告を聞いて病院に行っていれば、もしかしたら命を落とすことも無かったかも?
今はそんな思いでいっぱいです。
そんな悔やみきれない思いを胸に、25日は「Iさん追悼セーリング」をしました。
24日にIさんの使っていたセイルを借りに行ったら、今年の初乗りで使用していたセイルは
無くて、恐らくセイルNoを貼っただけで未使用だったと思うニューセイルがありました。
これはきっと「このセイルを追悼セーリングで使って」とIさんは言っているのだろうと借りて
きました。
そして25日、Iさんの艇のオーニングを開けてみたら・・・
何と、今年の初乗りで使用していた中古のセイルが入っていました。

11日のIさんは、艤装品一式を忘れてきて出艇できずに帰って行ったのですが、何とセイルを
持って帰るのを忘れているのです。
今になってみると、何かおかしなIさんで、連休中の体調不良が回復していなかったのか?
とも思います。
24日にセイルを借りにIさん家に行った時、Iさんの車のトランクにはセンター・ラダーと
共に艤装品一式が積まれていて、18日のセーリングを楽しみにしていたのだろうと思うと
胸が熱くなりました。
25日は、恐らくセイルNoを貼っただけでマストに通していないであろうニューセイルをまずは
マストに通して記念撮影後に、中古セイルにチェンジ。


K-jrがクラス旗+ U旗+W 旗を掲揚してくれました。
本当はクラス旗+ I旗+U旗+W 旗を掲揚したかったのですが、I旗は旗竿に付いていて
外せなく、仕方なくI旗抜きとなりました。
この旗は、レーザー仲間からは「Iさんのご冥福を祈ります」、Iさんからは「レーザ仲間の
皆さんの御安航を祈ります」というメッセージと私は理解しました。
そして、予定開始時間を1時間程超過した14時過ぎに「Iさん追悼セーリング」開始。
25日は気温が12度程度と超寒く、風もブローで7m/s程度あるので無理せずに2艇での
出艇となりました。
生前のIさんが「最近K山さんはラジアルばかり乗っていて、スタンダードの相手が減った」と
嘆いていたK山さん艇と、私とk-jrが交代しながら乗るIさん艇の2艇がおよそ1時間の
「Iさん追悼セーリング」を楽しみました。
普段なら寒くて辛くなる状況ですが、何故か楽しく、本当に楽しくセーリングしました。


動画もどうぞ
「Iさん追悼セーリング」後に、Iさんの愛艇を囲んで1分間の黙祷

ヨットタイマーで1分間の黙祷時間カンウトダウンと、実にセーラーらしい方法でIさんに黙祷しました。
私達は、これからも祝津で自分達なりに楽しくセーリングしたいと思います。
どうかIさん、天国から優しく見守ってください。
私は「Iさん追悼セーリング」で使用した写真を携えて今年はレース遠征しますので、どうか私に
ラッキーな風を天国から吹かせてください。
何だよ、神様・仏様頼りかよ・・・なんて言わないでね~
11日は行くつもりですがmuraさんは行く予定ですか?」
Iさんから5月6日に携帯に届いたこんなメッセージを見たのが5月19日の夜。
11日にIさんに会った時に「6日に携帯に電話したけれど出ないのでメッセージを残した
のに返事が無いよ・・・」と言われ「そんなメッセージ、届いていないよ」と答えた私。
1月にガラケーからスマホに替えたけれど、アプリが沢山あり過ぎてほとんど使いこなせ
ていなくて、Iさんの仏前にお線香をあげた19日に必死にスマホの中を探して発見しま
した。
メッセージをもらった時に確認していれば「体調が悪いのなら病院に行ったほうがいいよ」
と11日に言えたのに・・・
そんな私の忠告を聞いて病院に行っていれば、もしかしたら命を落とすことも無かったかも?
今はそんな思いでいっぱいです。
そんな悔やみきれない思いを胸に、25日は「Iさん追悼セーリング」をしました。
24日にIさんの使っていたセイルを借りに行ったら、今年の初乗りで使用していたセイルは
無くて、恐らくセイルNoを貼っただけで未使用だったと思うニューセイルがありました。
これはきっと「このセイルを追悼セーリングで使って」とIさんは言っているのだろうと借りて
きました。
そして25日、Iさんの艇のオーニングを開けてみたら・・・
何と、今年の初乗りで使用していた中古のセイルが入っていました。

11日のIさんは、艤装品一式を忘れてきて出艇できずに帰って行ったのですが、何とセイルを
持って帰るのを忘れているのです。
今になってみると、何かおかしなIさんで、連休中の体調不良が回復していなかったのか?
とも思います。
24日にセイルを借りにIさん家に行った時、Iさんの車のトランクにはセンター・ラダーと
共に艤装品一式が積まれていて、18日のセーリングを楽しみにしていたのだろうと思うと
胸が熱くなりました。
25日は、恐らくセイルNoを貼っただけでマストに通していないであろうニューセイルをまずは
マストに通して記念撮影後に、中古セイルにチェンジ。


K-jrがクラス旗+ U旗+W 旗を掲揚してくれました。
本当はクラス旗+ I旗+U旗+W 旗を掲揚したかったのですが、I旗は旗竿に付いていて
外せなく、仕方なくI旗抜きとなりました。
この旗は、レーザー仲間からは「Iさんのご冥福を祈ります」、Iさんからは「レーザ仲間の
皆さんの御安航を祈ります」というメッセージと私は理解しました。
そして、予定開始時間を1時間程超過した14時過ぎに「Iさん追悼セーリング」開始。
25日は気温が12度程度と超寒く、風もブローで7m/s程度あるので無理せずに2艇での
出艇となりました。
生前のIさんが「最近K山さんはラジアルばかり乗っていて、スタンダードの相手が減った」と
嘆いていたK山さん艇と、私とk-jrが交代しながら乗るIさん艇の2艇がおよそ1時間の
「Iさん追悼セーリング」を楽しみました。
普段なら寒くて辛くなる状況ですが、何故か楽しく、本当に楽しくセーリングしました。


動画もどうぞ
「Iさん追悼セーリング」後に、Iさんの愛艇を囲んで1分間の黙祷

ヨットタイマーで1分間の黙祷時間カンウトダウンと、実にセーラーらしい方法でIさんに黙祷しました。
私達は、これからも祝津で自分達なりに楽しくセーリングしたいと思います。
どうかIさん、天国から優しく見守ってください。
私は「Iさん追悼セーリング」で使用した写真を携えて今年はレース遠征しますので、どうか私に
ラッキーな風を天国から吹かせてください。
何だよ、神様・仏様頼りかよ・・・なんて言わないでね~
Posted on 2014/05/26 Mon. 13:45
TB: --
CM: 2
有難う・・・
記憶の中に留めておかず、記録として残したいとの思いでHPの作成、ブログの公開をしている
私です。
さよならの言葉も言わず突然に逝ってしまったIさんは、そんな私のHPとブログをチェックする
愛好者の一人で、書いた本人が忘れているようなことを「あそこに書いてあった」と克明に記憶
していて驚いたことがあります。
Iさんとの思い出はたくさんありますが、少しくらいはブログに書けとIさんに言われている気が
するので、ちょこっとだけ書きます。
今まで公開したことの無い画像が多いので、きっとIさんも喜ぶと思います。
私がディンギーというヨットに出会ったのが今から30年前の1984年
「ヨットは只今漂流中」ヨット遍歴参照
ヨットという趣味を持っていなかったら、絶対に出会っていなかったであろう人達が沢山います。
今では、会社関係の知人・友人よりもヨット関係の知人・友人のほうが比べものにならないくらに
多いのが事実です。
Iさんもヨットを通じて出会った大切な友人の一人です。
Iさんは1989年に北海道江差で開催された第44回国体ヨット競技「成年2部シーホッパー
級」の北海道代表選手でしたが、競技役員だった私とはまだ親しい仲ではありませんでした。
大会で配布された「帆走指示書」、競技役員のみに配られた「競技役員必携」

本部艇から隠れて撮影したレース風景

私がIさんと親しくなったのは、同じくヨットを通じて知り合った大親友のKちゃんに誘われて
Iさんの家に泊りがけで遊びに行ったことがきっかけでした。
その後、私が1年だけ札幌勤務していた時には、何度もIさん家に行ったり、Iさんが私の家
に来たりしていました。
19日にIさん家にお線香をあげに行った時に、Kちゃんも懐かしい話として記憶していた
「北海シマエビがサインに化けた話」
あの話に書かれている1994年8月の「阿寒湖まりもCUPヨットレース」の時の写真を
探し出しました。

この写真のシャッターを押したのがIさんです。
残念ながらIさんが写っている写真は探し出せませんでした。ごめんね。
20年前・・・懐かしいな~
20年前はシーホッパー全盛時代で、北海道では「シーホッパーシリーズ戦」で年間順位を
決定していた時でもありました。
これは確か岩内でのレースの時の宴会写真です。


何だかんだと時は過ぎ、シーホッパーは一時の勢いも無くなり、レース参加選手も限られて
きて、一時Iさんはヨットから釣りに楽しみを変えましたね。
それからまたまた時は過ぎ、3年くらい前からIさんはヨットに復帰しました。
忘れもしない、昨年の6月9日銭函吉田浜
今年は20数年ぶりにシーマーチンでオープンレースに出たいという私のワガママに付き合って
Iさんは帆走比べをしてくれました。


その時にIさんに言われた「ある風域ではマーチンのほうが速い」という一言が今でも耳に
残っています。
銭函吉田浜でIさんと2人で一緒にヨットに乗ったのは、後にも先にもこれだけです。
2012年のシングルハンダーシリーズ戦は、見事に総合優勝しましたね。

その勢いで2013年は果敢に国体予選にチャレンジしましたね。

初日は他の艇よりもかなり早く出艇したのに、何故かハーバーから外に出た時には後ろに
数艇だけ。
レースのほうも2日間共に信じられないくらいに不調で、見ている私も心配しましたよ。

今年は国体のことなんで考えず、祝津で沢山乗ると言って艇を外置きにしたのに、初乗りの
日にたった一度乗っただけで逝ってしまうなんて・・・

貴方の愛艇は、奥様と息子さんの希望は「誰か使ってくれる人に差し上げます」とのことなので
来年から国体シングルハンドがレーザーに統一されることから、地元小樽の海技学校ヨット部
に寄贈して使ってもらおうという方向で話を進めています。
貴方の愛艇が来年の和歌山国体本番に出れるように見守っていてください。
私の使っているSILVAの103を見る度に「俺が死んだら、自分が使っている103をあげ
る」とIさんは言っていたね。

Iさんは家でも、ピアノの上に飾っている103コンパスを見て「muraさんにあげよう
かな?」と奥様に言っていたんだね。
焼香に行った日に「これ持って行って」と奥様に言われたけれど、まだ貰うことは出来ないよ。
「俺が死んだら、自分が使っている103をあげる」なんて冗談話が現実になってしまって
悲しくて仕方ないよ。
今年からセーリング風景を動画撮影するから色々とチェックしようと約束して4月27日に
試験的に撮影した動画の中から、Iさんの映っている部分を抜き出した物を作成しました。
こんなことになるのなら、もっと撮影しておくんだったと悔しい気持ちでいっぱいです。
悲しいかな、生前のIさん最後の帆走風景です。
今は亡きIさんに捧げます。
私の「石垣島旅行記」を見て、Iさんは今年3月に奥様と石垣島旅行に行ったんだよね。
石垣島での話、まだ少ししか聞いていませんよ。
「クバ笠」のこととか、シーサーの話とか今度ゆっくり話そうと言っていたのに・・・
いつか一緒に石垣島に行こうという話もしたかったのに・・・
少し落ち着いたら、Iさん家に石垣島旅行の土産話を聞きに行こうと思っているけれど、
いいよね。
20数年間、ワガママな私に付き合ってくれて、本当に有難う・・・
どうか安らかにお眠りください。
私です。
さよならの言葉も言わず突然に逝ってしまったIさんは、そんな私のHPとブログをチェックする
愛好者の一人で、書いた本人が忘れているようなことを「あそこに書いてあった」と克明に記憶
していて驚いたことがあります。
Iさんとの思い出はたくさんありますが、少しくらいはブログに書けとIさんに言われている気が
するので、ちょこっとだけ書きます。
今まで公開したことの無い画像が多いので、きっとIさんも喜ぶと思います。
私がディンギーというヨットに出会ったのが今から30年前の1984年
「ヨットは只今漂流中」ヨット遍歴参照
ヨットという趣味を持っていなかったら、絶対に出会っていなかったであろう人達が沢山います。
今では、会社関係の知人・友人よりもヨット関係の知人・友人のほうが比べものにならないくらに
多いのが事実です。
Iさんもヨットを通じて出会った大切な友人の一人です。
Iさんは1989年に北海道江差で開催された第44回国体ヨット競技「成年2部シーホッパー
級」の北海道代表選手でしたが、競技役員だった私とはまだ親しい仲ではありませんでした。
大会で配布された「帆走指示書」、競技役員のみに配られた「競技役員必携」

本部艇から隠れて撮影したレース風景

私がIさんと親しくなったのは、同じくヨットを通じて知り合った大親友のKちゃんに誘われて
Iさんの家に泊りがけで遊びに行ったことがきっかけでした。
その後、私が1年だけ札幌勤務していた時には、何度もIさん家に行ったり、Iさんが私の家
に来たりしていました。
19日にIさん家にお線香をあげに行った時に、Kちゃんも懐かしい話として記憶していた
「北海シマエビがサインに化けた話」
あの話に書かれている1994年8月の「阿寒湖まりもCUPヨットレース」の時の写真を
探し出しました。

この写真のシャッターを押したのがIさんです。
残念ながらIさんが写っている写真は探し出せませんでした。ごめんね。
20年前・・・懐かしいな~
20年前はシーホッパー全盛時代で、北海道では「シーホッパーシリーズ戦」で年間順位を
決定していた時でもありました。
これは確か岩内でのレースの時の宴会写真です。


何だかんだと時は過ぎ、シーホッパーは一時の勢いも無くなり、レース参加選手も限られて
きて、一時Iさんはヨットから釣りに楽しみを変えましたね。
それからまたまた時は過ぎ、3年くらい前からIさんはヨットに復帰しました。
忘れもしない、昨年の6月9日銭函吉田浜
今年は20数年ぶりにシーマーチンでオープンレースに出たいという私のワガママに付き合って
Iさんは帆走比べをしてくれました。


その時にIさんに言われた「ある風域ではマーチンのほうが速い」という一言が今でも耳に
残っています。
銭函吉田浜でIさんと2人で一緒にヨットに乗ったのは、後にも先にもこれだけです。
2012年のシングルハンダーシリーズ戦は、見事に総合優勝しましたね。

その勢いで2013年は果敢に国体予選にチャレンジしましたね。

初日は他の艇よりもかなり早く出艇したのに、何故かハーバーから外に出た時には後ろに
数艇だけ。
レースのほうも2日間共に信じられないくらいに不調で、見ている私も心配しましたよ。

今年は国体のことなんで考えず、祝津で沢山乗ると言って艇を外置きにしたのに、初乗りの
日にたった一度乗っただけで逝ってしまうなんて・・・

貴方の愛艇は、奥様と息子さんの希望は「誰か使ってくれる人に差し上げます」とのことなので
来年から国体シングルハンドがレーザーに統一されることから、地元小樽の海技学校ヨット部
に寄贈して使ってもらおうという方向で話を進めています。
貴方の愛艇が来年の和歌山国体本番に出れるように見守っていてください。
私の使っているSILVAの103を見る度に「俺が死んだら、自分が使っている103をあげ
る」とIさんは言っていたね。

Iさんは家でも、ピアノの上に飾っている103コンパスを見て「muraさんにあげよう
かな?」と奥様に言っていたんだね。
焼香に行った日に「これ持って行って」と奥様に言われたけれど、まだ貰うことは出来ないよ。
「俺が死んだら、自分が使っている103をあげる」なんて冗談話が現実になってしまって
悲しくて仕方ないよ。
今年からセーリング風景を動画撮影するから色々とチェックしようと約束して4月27日に
試験的に撮影した動画の中から、Iさんの映っている部分を抜き出した物を作成しました。
こんなことになるのなら、もっと撮影しておくんだったと悔しい気持ちでいっぱいです。
悲しいかな、生前のIさん最後の帆走風景です。
今は亡きIさんに捧げます。
私の「石垣島旅行記」を見て、Iさんは今年3月に奥様と石垣島旅行に行ったんだよね。
石垣島での話、まだ少ししか聞いていませんよ。
「クバ笠」のこととか、シーサーの話とか今度ゆっくり話そうと言っていたのに・・・
いつか一緒に石垣島に行こうという話もしたかったのに・・・
少し落ち着いたら、Iさん家に石垣島旅行の土産話を聞きに行こうと思っているけれど、
いいよね。
20数年間、ワガママな私に付き合ってくれて、本当に有難う・・・
どうか安らかにお眠りください。
Posted on 2014/05/21 Wed. 10:15
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